縄文人は1万年もの長い時間、縄文時代で生活を営んていた、という研究がある。
10,000年。想像を絶する。長期間、農耕文化を拒み続けた理由は、自然との共生を選び続けたからだ、と言われる。
1万年もの長い間、なぜ文明が発展しなかったのだろうか。いや、あえて文明を発展させなかったのか?私にはとても不思議だ。衣食住にまつわる様々なものが発掘され残っているが、全て私たちから見ると原始的なモノばかりだ。なぜなのだろうか。なぜ、1万年もの間、車も電車も、携帯電話もスマートフォンも、パソコンもなしで、生活していたのだろうか。
現在、文明が日進月歩で目まぐるしく発達している、と感じる。10年先、20年先には、高性能な人工知能を搭載したロボットで溢れかえるかもしれないし、100年先となると、何がどうなるのか、見当もつかない。重力制御装置が存在していて、世の中の風景がまるで違っているかもしれない。では500年先は?ましてや1,000年先ともなると、想像を超えた世界となるのではないだろうか。少なくとも直近のこの1,000年で見ると、とんでもなく文明が発展しまくった1,000年と言える。では5,000年先は?8000年先は?どうなっているか誰かわかる人がいるだろうか。
つまり、短い期間でどんでもなく文明は発達してしまうのだ。と言いたいのだ。私は。それが人間だ、と。
縄文時代は10,000年続いた。狩猟採集の生活をなぜ10,000年も継続させたのか。10,000年もあれば、ロケットを作ったり宇宙船を作ったり、重力制御装置も作れるのでは?と思うのだ。
つまりわざと継続させない限り、10,000年も狩猟採集生活が続くはずがない、と思うのだ。
縄文に至るまでに、本当に、車も戦争も何もかも、本当にあらゆることを経験し、いろいろあって、最終的に選択したのが、地形を崩さず、より自然現象とシンクロする生き方だったりしたのかもしれない、とふと思いを馳せてみた。
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